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大切な家族だからこそ「今」の気持ちを伝えたい

コラッピーな話

 

前にも書いたことがありますが、親父がフライング気味に亡くなってまして、今日はその命日なんです。

親父のこと思い出して寝れん - ホーリーの普通の日記

 

しかし当たり前のことなんですけども、死んだら会うことも会話することも出来ないんですよね。

よくお盆に帰ってくるとか言うじゃないですか。ありゃウソですよ。

2年前くらいのお盆に、仏壇の親父の遺骨(分骨したやつ)の前で待ち構えてたんですが、全く現れなかったですもん。泥酔して「さぁ来い」とか言ってたんですけど。

 

そんなわけですから、生きてるうちに家族に気持ちを伝えるのって、すごく大事だと思うんです。そのときの「今」の気持ちを伝えたほうがいいと。

てかこれ、弟が教えてくれたんですけどね。

 

わたしの一番の宝物は、弟からの手紙なんです。結婚したときにくれた、便箋4〜5枚の。なんかわたしや嫁について書いてあったんですけどね。

この手紙にすこぶる感動しまして、「家族に気持ちを伝えるのって素敵だな」と思ったんです。

 

まあそう振り返ってみたら、親父からのそういうのってないんですよ。形として残ってるは写真くらいしかない。これが非常に寂しいんですよね。

いや、心の中に思い出はたくさん残ってるし、感謝や尊敬の気持ちでいっぱいだけど、もう少し形になったものがあっても良かったなと。

 

てか、50歳過ぎての子どもだったんだから、死ぬことや病気になること見越して、メッセージくらい残しとけよ、って思ってます。

なんかタイムカプセル的なのがあったら素敵でしょう。大人になったら読んでくれって感じの。

大人になった太郎へ、なんて手紙があったら、間違いなく宝物に追加してますよ。もう泣いてしょうがないだろなw

 

で、まあこの話の流れから正直に言いますと、今作ってる絵本コラッピブックは、半分は自分の子どもに向けて作ってますね。

 

ん?いやウソだな。

 

露骨に自分の子どもに向けて作ってます

 

もうこれ、お客さんや会社のみんなには申し訳ないくらい。

 

親父がこんなの残してくれたら良かったなっていうのを、自分で作ってます。自分もいつどうなるか分からないし。

 

そう。書きながら気付きましたけど、絵本のストーリーも、完全に自分の子どもに向けてますね。

実に放任主義な家庭で、周りの「宿題やりなさい」って言われてる子が羨ましくなるくらい自由な家庭だったんですけども、挨拶のことだけは口うるさく言われたんですよ。

「朝の挨拶自分が先に」って、ようするに自分から先に挨拶しなさいってことなんですけど、本当にいつも言われました。

 

で、これは自分の子どもにも伝えなきゃ、て思って出来たのが1作目の「こんにちは」です。あれはここから来ました。

 

さらに言いますと、次発売する2作目、これタイトルが「ありがとう」って言うんですけども、これは自分の遺書ですね。意味合いとしては。

親父と同じように、自分もいつ死ぬか分からない。もしかしたら来週、いや明日かもしれん。そんなとき、子どもになにを言うかって考えたら、第一声は「ありがとう」なんですよ。

「自分の元に生まれて来てくれてありがとう」って、これだけはハッキリと伝えたいです。

 

まあそう考えるとあれか。

 

この絵本出来たら、いつ死んでも心配ないな

 

うんうん。まあ絵本を遺書なんて言ったらドン引きされるから、そこは隠すけど。

 

で、そうそう。この親父の死と、だから家族の思い出を大切にする自分、ていうのを綺麗にまとめて、サイトに書いたらいいんじゃないかと思ったんですよ。これカッコいい誕生秘話になるぞと。

でも今のポップな絵本には重すぎるんでやめました。親父もビックリしますしね。「ええっ!そこで俺かよ!」って。

 

てか多分サイトに書いたらあれですよ。

 

お盆に親父帰ってきますよ

 

それ消しに来るな。