真面目について、もうちょっと真面目に考えてみる
自社広告
真面目について、もうちょっと書きたくなりました。
目標に対して最大限努力すること=真面目
自分のなかでは、こう定義したんですけど、やっぱ人によって変わりますよね。
印象的な出来事が中学生のときにあったので、ちょっとそれについて書いてみたいと思います。
僕は中3の夏まで全く勉強が出来なかったんですが、それから半年間勉強することで、結構出来るようになりました。
偏差値30から60代の後半まで上がったんですが、それに対する学校の先生の評価が、ちょっとおかしかったのを覚えています。
クラスビリとは言いませんが、下から数番目の成績だったんです。んで、内申書も5段階評価(最高は5)の1〜2しかありませんでした。
それが中学3年生の期末テストでは、数学、国語、英語と3教科、クラストップの点数を取ったのに、内申書の評価が全然上がらなかったんですよね。
これ先に言いますと、数学だけは5の評価になったんです。2から5になりました。
でも他の国語と英語は2が3になっただけだったんですよ。ここに大いに疑問を持ちました。
たしかに僕は、提出物の関係は一切出してないし、授業態度もいいとは言えませんでした。
でも仮に評価の基準が「その教科に対する理解度」だったら、僕は5でなければおかしいでしょう。
でも中学はそうではなかったんです。理解度よりなによりも、「従順さ」とかが評価に含まれるんですよね。僕の「真面目」は「真面目」にならないんですよ。
これこそ、先生が思う「学習の目標」と「僕の行動」が一致してなかったってことなんでしょうね。それだから評価されなかったと。僕は「真面目な生徒」ではなかったってことです。
こういう風に、本人にとっての「真面目」も、その所属する組織によっては通じません。
だから「目標」をハッキリさせておくこと大事なんでしょうね。例えばこの会社、この部署では、なにを目標にするのかと。
その辺を決めきらないと、真面目な行動が出来ないと思います。
P.S.
書き損ねましたが、僕は中3のときに、数学で5の評価をしてくれた先生のことを忘れていません。
土門先生、あのときは本当にありがとうございました。夏休みの宿題や日頃の提出物なんかを全く評価の対象に入れず、ただテストの点数だけで評価してくれたこと、心から感謝しています。
学校では見えない影の努力を汲み取ってくれたのは、土門先生だけでした。本当にありがとうございます。先生のおかげで、数学がより一層好きになりました。
P.S.2
学校教育も、提出物とか授業態度の評価は、また別に設けた方がいいと思います。国語数学理科社会に並んで、「従順」みたいな項目を作るとか。
テストで最高点を取った子が、最高ランクの評価を受けないのは、どう考えてもおかしいでしょう。
優秀な子の授業態度が悪いのは退屈だからですよ。