「前に会ってるかもしれないですね」って言葉は、この世から無くなっていいでしょう
「前に会ってるかもしれないですね」って言葉は、この世から無くなっていいと思いませんか?まあこれ厳密には言葉じゃなくて言い回しですけど。
たまにあるんですよね。自分が使うことは決してないけど、他人が使ってるのを聞くケースが。
「どちらにお住まいですか?」
「神楽坂です」
「あ、そうですか。実は私も3年前まで神楽坂に住んでたんですよ」
「じゃあ前に会ってるかもしれないですね」
超ザックリですが、初対面でこんな会話になったとするでしょう。意外とあるじゃないですか、こんな会話って。
んで連呼するようですが、この場合の「前に会ってるかもしれないですね」が解せない。どうしても納得出来ないんですよ。
だってあれじゃないですか。
この言葉っていい言葉だと思います?
会話をいい方向に向かわせる言葉でしょうか?ほんとに。
僕はそうとは思えないんですよね。
☆☆☆
こないだ初対面の知り合い同士が、こんな会話をしてました。
(僕がお互いを繋いだって感じのときです)
なんかたまたま住んでるのが近所で、2人ともバイクを乗ってたんですよ。んで毎日同じ通りを通ってると。
(主に東京の人にしか分からないでしょうが、目白通りでした)
そこで、「じゃあ俺たちすれ違ってるかもしれないね」って話になったんですよ。
同じ通りを毎日通ってるから、すれ違ってるかもしれないと。
いやいやいや、
だからなに?
って話じゃないですか。
これは上記の言葉の亜種ですが、まあ意味は同じですよね。会ってるかもしれないと。
仮にそこですれ違ってたらなんなんでしょう?なんかこれ意味あるんですか?
上記の神楽坂の例を出すと、仮に道路で会ったとしましょう。
そのときは顔も知らないお互いが、通りを歩いてすれ違って、袖と袖を擦り合わせてたとしましょう。
だからなに?
って話になりますよね。連呼しますけど、だからなに?ですよ。
実は僕たち、今日知り合って距離が近くなったけど、元々近かったんだよねって感じのことなんでしょうか?これは。
これ言われて普通は嬉しいんですか?喜ばしいことなんでしょうか?
僕はあれですよ。
お前なんか知らねぇよ
って思っちゃうんで、この言葉は不快に感じます。
だって会ってないんですもん。会ってたら覚えてるでしょう。会ってないから覚えてないわけで、会ってたら覚えてますよ。だからこの言葉を使う意味が分からないんですよね。
前に会ってる「かも」しれないですねっていう、この「かも」も解せない。この「かも」が付いてるせいで、この言葉ってほぼ意味ないじゃないですか。
会ってかもしれないし、会ってないかもしれない。それも前に。
まあ意味ないでしょう。言葉としての意味がない。いま僕空気吸ってますって宣言するくらい意味がない。
だから「前に会ってるかもしれないですね」って言葉は、僕にとって必要ないんですよ。この世から無くなっていいんです。