ゲーム=悪じゃない。問題はどうやって接するかだ

 

知り合いから、小学生の子供がゲームばっかりやってて困ってるって話を聞いたんですよ。

最近青森から東京に引っ越してきたばっかっていうのもあって、友達自体少ないみたいなんです。だから余計に家でゲームをしちゃうとか。

 

中学生の頃、マリオカート(SF版)で生活したいと本気で思ってた僕としては、なにもゲームのやり過ぎは毒ではないと思うんですよね。

ゲーム=悪、っていう方程式にしたがる人は思考が浅いでしょう。

 

問題はそれに対してどうやって接するのか、なんです。

ゲームしかりパソコンしかり、それは道具、ツールであって、それ単体でなにかを判断してはいけません。ようはどうやって使うのか、ここが大事なところでしょう。

 

(ゲームと言えば、最近出た大吾梅原と「ちきりん」さんの対談本には痺れました。ゲーマーはもちろん、ビジネスマンも子供も全員が買うべきですね。これは国民の義務です。)

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まず最初に上げたいのが車。これも使う人によって変わりますよね。

メチャクチャな運転をする人もいれば、非常に紳士的な運転をする人もいます。

メチャクチャな運転をする人だけ見てたら、車=危険、て思いますよね。

 

スマホも同じです。スマホで受動的にゲームばかりしてるのか、それとも積極的に情報収集&発信をしてるのかで、かなり変わります。これは雲泥の差ですよ。

たまに「スマホばっかイジってないで本を読め」なんてオッサンがいますが、今どき本もスマホで読むのが当たり前。スマホイジってる=遊んでる、ではないんです。

これも使い方ですね。どうやって接するのかってことです。

 

最初に出したゲームも同じ。ゲーム業界っていうのは、どんどん拡大してるので、プロゲーマーって職業もこれから認知度が高まってくるのは間違いないです。

なんせストⅡの世界大会が、今はラスベガスのど真ん中で行われてますからね。

最初はロサンゼルスとかどっかの郊外だったのに。しかも体育館。

 

何も考えずにゲームしてるのか、自分で考えて試行錯誤してるのかで、大きく変わります。

後者はいいですよ。その辺のマイナースポーツやるより、20倍夢があるといっていいでしょう。

 

とにかく、道具ってやつは使いようなんです。

プログラミングを覚えて、それを世の中のために使うのか、はたまたポンコツアプリを量産するのか。

選ぶのはあなた自身なんですよ。